『適当に生きていいんだよ』。うつ病になりかけた時に言われてハッとした言葉。
でもずっと真面目に生きてきたから適当に生きる方法がわからない。そもそも適当に生きるってどういうこと?
そこから適当に生きることについて真剣に考え、今では肩の力を抜いた人生を送れるようになりました。
そこでこの記事では『適当に生きたい人』に向け、以下の内容をお伝えします。
- 適当に生きる意味
- 適当に生きるのが難しい理由
- 適当に生きられない人の特徴
- 適当に生きるための方法
適当に生きるとは?
『適当に生きる』って聞いても、実際どんな生き方なのかイメージしずらいですよね。
逆に『真面目に生きる』と聞くと、社会のルールや常識・要求や期待にきちんと従って生きることだとイメージできます。
つまり『適当に生きる』とは、社会のルールや常識・要求や期待に対して適当に従う生き方だと言えます。
また、適当という言葉には『いい意味』と『悪い意味』の2つがあります。
良い意味:ある条件・目的・要求などに、適度に(程よく)あてはまること。
悪い意味:考えがなくいい加減
これを踏まえると『社会のルールや常識・要求や期待に対して自分に適した加減で応える生き方』が適当に生きることと言えます。
適当に生きるのが難しい国『日本』
日本では年間3万人が自殺によって亡くなり、100万人以上がうつ病と診断されています。
それだけ日本は、社会のルールや常識、要求や期待に苦しめられる人が多いということ。
僕自身も、今でこそ適当に生きれるようになりましたが、それまでは社会に適合するためにずっと自分に無理をして生きてきました。
内向的な性格なのに、無理やり外向的に振る舞っていたり。
自分の能力を超えたことも、嫌な顔せず引き受けていたり。
自分の健康や家族を犠牲にしてまで、仕事を優先したり。
そうやって自分を偽りながら生きてきた結果、うつ病になりかけ、会社員をやめることにしました。
そして現在は誰とも関わらず1人マイペースにできるオンラインの仕事をしながら海外で暮らしています。
しかし、この生活こそが背伸びせずに等身大の自分で生きられる生き方だったんだと実感しています。
そもそも人間は無意識に、自分に適した生き方を選択するようにできているんですよね。
人には、最適な覚醒水準が存在し、最適な覚醒水準からそれると、最適覚醒水準に戻そうとする動機づけが働く
つまり今の状況は、僕にとって『なるようになった結果』だったということなんですよね。
また、今の生活になって感じたことは、海外は日本に比べ社会のルールや常識・要求や期待が緩いということ。
コンビニに入れば、スマホをいじりながら仕事をする店員は当たり前。
レストランやショッピングモールもそう。接客するわけではなく、レジの横で3人くらいで固まり普通に雑談しています。
そして、こちらから話かけて、やっと接客してくれるという感じです。(しかも無愛想な態度も結構ある 笑)
上の写真は海外にある『日本でもお馴染みのおもちゃ屋』ですが、水色のシャツを着た店員は、商品であるボールで遊んでいたりレジの中で喋ってます。
日本では見たことがない光景だったので、はじめて見た時はさすがに驚きましました。
が…。色んな国に行っても良く見る光景なので、世界的にはこれが普通なんだと思います。
このように日本は『こうあるべき』『こうしてほしい』っていう社会のルールや常識・期待や要望が強い。
そのため、他の国に比べると『適当に生きるのが難しい国』だと思うんですよね。
なぜなら以下の3つの理由があるからです。
- 社会の寛容性が低い
- タイトな社会
- 個人より集団の和を尊重する
1つずつ解説していきます。
社会の寛容性が低い
世界幸福度ランキングによると、日本の幸福度は世界58位(2019年調査)
中でも自由度や社会の寛容性が特に低いことがわかります。
そのため他人に厳しく、適当に生きることや、失敗を許せないような風潮があるのではないかと思います。
社会のルールが厳しい
また、社会の自由度や寛容性が低い原因は『タイトな社会』だからというのが1つにあるからです。
学校の校則で言えば、決まった靴下を履かなきゃいけない。髪は染めてはいけない。ピアスをしてはいけない etc…。
社会に出れば、一旦キャリアを外れると元には戻れない。年功序列。家族よりも仕事という風潮 etc…。
これらを守らない人は社会から評価されず、はみ出し者のレッテルを貼られて村八分にされます。
だから、適当に生きるのが怖くなってしまうんですよね。
個人よりも集団の和を尊重する
また日本は欧米のように多民族国家の個人主義ではなく、単一民族の集団主義の色が強い。
そのため、『空気を読む』『我慢は美徳』『出る釘は打たれる』などのように『個人の自由』よりも『集団の和』を重んじる。
その結果、無意識に自分を周りに合わせることを優先し、周りからの評価や評判を過剰に気にします。
日本人は人生を「他人の行動の中に看取されるあらゆる暗示に油断なく心を配ること、および他人が自分の行動を批判するということを強く意識する」ことと捉えており、「何が『正しい』行動なのかの判断は、常に社会関係の中でとらえられ、『世間』によって決められる」と考えている
だからこそ『自分に最適な生き方』よりも『周りに合わせる』ことを優先し『適当に生きる』が難しくなってしまうんですよね。
適当に生きれない人の3つの特徴
これまで述べたように、日本は集団主義が強く、社会の寛容性やルールに厳しく自由度が低いため、適当に生きるのが難しい国なんですよね。
その中でも特に適当に生きるのが苦手な人に多いのが『内向型』と呼ばれる気質を持っている人たちです。
『内向型』とは、心理学者のカール・ユングが唱えたパーソナリティの1つ。
ユングによれば、人間は『内向型』と『外向型』のどちらか寄りの気質を持って生まれてくるとされている。
ではなぜ内向型ほど、適当に生きるのが苦手なのか?
それは以下の3つの特徴があるからです。
- 悲観的になりやすい
- 真面目で完璧主義
- 自尊心が低い
1つずつ解説していきます。
悲観的になりやすい
悲観的になりやすい人ほど、適当に生きることで『はみ出し者のレッテル』を貼られてしまうのではないかという不安を抱えやすい。
その結果、周りの目や世間体を気にしやすく、適当に生きることを恐れる傾向が強くなります。
そして内向型は『長期記憶を中継する情報処理』を行っているため、悲観的になりやすい。
人間には『危険から身を守る』という本能があるため、長期記憶はネガティブなことほど保存されます。
ポジティブな記憶よりもネガティブな記憶のほうが脳に刻み込まれやすいと言われています。
私たちの祖先は厳しい自然環境を生き延びるため、楽しかった出来事を思い出すよりも、苦しかった出来事を思い出して危険を回避するほうを優先させなければならなかったのでしょう。
引用:宇治おうばく病院
だからこそ、長期記憶を中継する内向型は『リスクに敏感』で不安になりやすく、物事を悲観的に考える。
真面目で完璧主義
また真面目で完璧主義な性格の人ほど、ルールや常識に縛られやすく、適当に生きることに対して苦手意識を持ちます。
そして、内向型の人ほど真面目で完璧主義な性格になりやすい。
内向型は、物事を捉える視野が狭く、自己の理想や責任感に没入します。
生真面目で完璧主義、実直に仕事をこなしますが、許容範囲を超えると途端に対処の仕方がわからなくなる傾向があります。
引用:東洋経済
なぜなら長期記憶には、社会のルールや常識が保存されている『意味記憶』があるからです。
その結果、内向型は『自分に最適な生き方』より『社会のルールや常識』を優先した生き方になりやすい。
自尊心が低い
さらに自尊心が低い人ほど、自分を尊重した生き方ができないので、適当に生きることを苦手とします。
自尊心とは?
『自分には価値がある』と思える気持ちのことで、自尊心が高いと自分を尊重し、品格を保とうとします。
逆に自尊心が低いと『自分には価値がない』と、自ら自分の品格を落として心の安定を図ろうとします。
そして内向型は『不安神経症傾向』が高いため、自尊心が低い人が多い。
自尊感情は神経症傾向と高い負の相関がある
このように長期記憶を中継する内向型は、真面目で完璧主義な性格や不安神経症傾向が高いため『適当に生きる』ことが苦手です。
しかし僕自身、これらの特徴を持っていても、現在は『適当に生きる人生』を送れるようになりました。
そこで、内向型でも適当に生きるための方法についてお伝えしていきます。
適当に生きるための3つの方法
適当に生きるとは『社会のルールや常識・要求や期待に対して自分に適した加減で応える生き方』のことです。
そのため、適当に生きるために大切なのは『課題の分離』をすることなんですね。
課題の分離とは『他人の課題(人生)』と『自分の課題(人生)』を分けて考えるというものです。
しかし前途したように、日本は集団主義が強く社会のルールや常識、要求や期待が強い傾向があります。
だからこそ『他人の課題』と『自分の課題』を分けて考えるのが難しい。
なぜなら『集団の和を尊重する価値観』が身についてしまっているからです。
人間は自分の価値観・信念に従った、能力・行動・環境を身につけていくと言われています。
この価値観・信念が集団主義に合わせたものになっているため、自分の人生を他人の人生の1部として考えてしまうんですよね。
つまり、社会のルールや常識・要求や期待など、他人が勝手に求めてくる『他人の課題』に縛られず適当に生きるためには…
この『価値観・信念を変える』必要があるということです。
海外で生活した人ほど適当に生きれるようになるのは、この価値観・信念が変わるからに他ならないんですよね。
そしてこの価値観・信念を変えるための方法が以下の3ステップです、
- 自分の価値観・信念を洗い出す
- 自分の価値観・信念を絞り込む
- 自分の価値観・信念に優先順位を付ける
1つずつ解説していきます。
自分の価値観・信念を洗い出す
価値観とは『自分が大切にしている』こと。
信念とは『自分が信じている』こと。
現状の自分が『何(誰)を大切にして生きているのか』『どんなことを信じて生きているのか』を洗い出し、自分を客観的に見るのが第一歩です。
その結果、どれが自分の価値観・信念で、どれが社会の価値観・信念かを把握できるようになります。
自分の価値観・信念を絞り込む
次に洗い出した価値観・信念を10個まで絞り込んでいきます。
なぜなら絞り込むことで、自分にとって『必要なもの』『不要なもの』を選別することができるから。
その結果『不要な価値観・信念』を捨てることができる。
自分の価値観・信念に優先順位を付ける
最後に10個に絞り込んだ価値観・信念に1~10位まで優先順位を付けていきます。
なぜなら優先順位を付けることで『本当は何を大切にして(信じて)生きていきたいか』を明確化できるからです。
その結果、自分の目指すべき生き方(自分の課題)がわかり『他人と自分の課題』を切り離して考えることができるようになります。
また『自分の課題』に集中できるようになると、自分の人生の中で自分がコントロールできる部分がどんどん増えていきます。
そのため、社会のルールや常識・要求や期待に対して、自分に適した加減で応える『適当に生きる』ができるようになる。
以下の記事では80のリストの中から、自分の価値観・信念を『洗い出し・絞り込み・優先順位を付ける』ワークをご用意しています。
社会のルールや常識・要求や期待に縛られて『適当に生きることができない』と言う方は、ぜひ1度試してみてくださいね。